興味も関心もないことをある日突然「やれ」と言われて、頑張れる人はどれくらいいるでしょうか。それでやる気を出せと言われても難しいものです。子どもに限らず、私たち大人も何度となく経験してきていることではないでしょうか。本来は人生にとって有意義な「学び」「学習」「勉強」のはずですが、「やれ」と言われ続けることで嫌になってしまっている子どもたちは少なくありません。これはあまりにももったいないことではないでしょうか。
では、いっそのこと「やらなくていいよ」と言ってあげてみてはいかがでしょう?やらなくて困るのは当人です。そのことを少しだけでも経験できる機会を持つのは重要なことです。
教科としての国語に取り組まなければ、理解できる言葉が増えません。TVを見たり、スマホのゲームをしたりするだけでも、日本語はあちこちに出てきます。ストーリーを追っていくゲームであれば、情報をきちんと読み解いておかないと、楽しむことすらできません。
また、自分の気持ちを伝えるときに、選択できる言葉を持っていなければ相手にうまく伝えることができません。
算数も同じです。友だちとカードゲームをする時に、四則計算くらいはできないと、ゲームになりません。実生活の買い物においても、勘定ができなければ大いに困ります。何をいくらで何個買えばいいのかを計算できなければ、ふだんの生活にも支障をきたします。時計の読み方がわからなければ、友だちとの待ち合わせもできません。
社会科で、地図の読み方を知らないままであれば、初めて行く場所の確認にも困ります。「スマホがあれば大丈夫」になりつつあるのも確かですが、地下で電波が届かない時や建物内部での順路など、必要となる機会がなくなることはありません。
本来、学びによって得られる知識は、生活に役立つものです。いろいろなことに役に立つ、いわば「道具」のようなもの。しかし、必要な場面になって、使ってみないことにはその便利さはわかりません。目的もわからないままに「この道具は便利だから使い方を覚えろ」と言われてやる気が出る人は極めて稀でしょう。子どもたちに「勉強しなさい」と言い続けることは、このことと大差ありません。
このような非効率で一方的な投げかけを続けるよりも、子どもたちが「あ、これ役に立つ!おもしろい!」と実感できる機会を見つける方が大切でしょう。誰もが何らかの知識を毎日使っています。日常生活の中で、子どもたちと一緒に先人たちの知識が活きている場面を見つけることが勉強意欲の出発点になるかもしれませんよ。